ネット麻雀により、麻雀(4人打ち)の質が落ちてしまった。 デジタルと名前を変えた、初心者の打ち方が主流になってしまっている。 覚えたての頃は、他者がリーチを掛けても不要牌を捨ててあがりに向かうだけ。 (当たり牌の方が少ないんだから、放銃する確率の方が低いんだけど) 聴牌すれば何でもリーチ。 チョット待てば、三色や純チャンに変わるのを待ちもしないで。 そんな、ただの絵合わせで何が面白いんだ? これも、TVゲームの影響で、得点を上げることだけが目的になってしまっているんだろう。 また、ネット麻雀のデータを元にした本が、それを推奨しているんだから性質が悪い。 (ま〜、初心者ばかりが集まって打つのには役に立つだろうけど) 負けても痛くも痒くもないネット麻雀で、あがりたがりばかりが集まって打ってるんだから、白發と鳴かれているところに中も切るだろう。 そんなデータは、そんな打ち方をする者ばかりの中での物であって、リアルで色んな人間と打った場合には全く違ってしまう。 例えば、日本の6月の降雨データを50年分出して、6月にサハラ砂漠に旅行に行く者に「この通り、6月は雨が降り続くんだから傘と長靴を持って行きなさい!」と言っているようなもの。 以前にあった例で、 親が2順にポン 本来の打ち方で、ここで上家は「チャンタ、純チャン」を警戒しては絶対に切らない。 勿論、は誰も切らない。 4順目チーさせてしまう。ポン 昔なら、ここで「肩が甘すぎるぞ〜!」と鳴かせた者をなじる。 7順目、対面がポンさせてしまう。チーポン 昔なら、ここで「お前、麻雀知ってるんか〜?こんなナマコが入ってたら麻雀にならん!」と罵倒する。 (俺はここで、アホ臭くなり、牌をツモるのもイヤになり、黙りこくってペッタラ、ペッタラ死にまくってお付き合いだけしたけど) 結局、ツモ ポンチーポン をあがられる。 実に下らん! 出たらポン見たらチーをしているだけで、かたや不要牌を捨てているただけなんだから、子供のポンジャンゲームと同じ! このさえ鳴かせていなければ、あがられた確率は? 136枚の内、 各人の手牌で52枚(13x4) 東家 南家 西家 北家 これで52枚(13x4) 河に16枚 東家 南家 西家 北家 これだけで68枚(52+16) 136枚の中には4枚。 ってことは、この68枚の中に2枚のがある。(136÷4=34) 北家が1枚鳴かせたってことは、北家に1枚もしくは2枚あったってこと。 南家、西家がを切っても鳴かれることは無い。 王牌に14枚 この王牌に7sがある可能性もある。 残ってるツモ牌は、54枚(136−52−16−14=54) 東家 南家 西家 北家 東家の14枚の中にがある確率は? このさえ鳴かせていなければ? 西家が1枚持っていたんだから、残りの1枚を東家がツモる確率は? 安目の2枚のがある確率を入れても難しい。 その順番で鳴かせたから、あがり牌をツモられてしまった。 もし、どれかでも鳴かせていなかったら、をツモってくる確率は? 如何に牌を絞ることが重要かってことだ! つまり、昔の達者な3人と打っていたら、この親はこの満貫をあがれなかったってことだ。 如何にネット雀士が甘く、そんなメンツなら早く食い仕掛けた方があがれるってことだ。 そんなネット雀士の集まりで打っていたデータが何の役に立つ? 昔の「出たらポン、見たらチーの乞食麻雀」が、不要牌は何でも捨てるナマコ卓では勝てても、達者なメンツでは負けていたんだから。 命の次に大事な「金」を賭けて打つ者は、打ち方が全然違う。 金が有り余って、遊んで打ってる者の中には、小銭の勝ち負けなんかどうでもよく、絞ってイライラさせることを楽しみにしている者も居る。 そんな者にキー牌が入ったら、いくらあがいてもどうにもならない。 あがりたがらないんだから性質が悪い。 乞食麻雀がウザいと思えば、全く不要牌であっても、何でも握り込んで、他者に放銃してもいいからと、2面子でも3面子でも捨てる。 で即リーを掛ける。 何とか待てないのか〜? リーチ掛けたって、出て5200、ツモって8000。 ヤミでも、出て2600、積もって4000。 何でも要らない牌を捨てるヤツばかりなんだから、出てしまう可能性も高いって? リーチ掛けているのとヤミテンにするのの差は2600。 リーチを掛けていなければ、を引いてタンピンになり、であがれば三色になる。 を引いてを切り、を引いてを切れば3色になる。 この変化が面白いんであって、リーチを掛けてツモれば満貫と、満貫を目的に打つつまらなさ。 何でもあがりたがるだけなら、サンマの生き馬の目を抜くようなスピード麻雀を打てばいいのに。 ま〜、「5順目のカン4pリーチのあがれる確率は何%とか、2600以上の手なら親リーに逆らってみる価値がある」とか、ネット麻雀のデータを引用してしまうから無理なんだけど。 ここにも、何順目のカンチャンリーチのあがれる確率とか、自分の手の大きさを判断基準にするネット麻雀データの無意味さがある。 ツキの無い時のカンチャンと、ツイている時のカンチャンの違い、対局者と自分の持ち点から、相手がベタ死にする場合もあり、差し込んでTopを狙う場合もあるのに、何もかも一緒くたにしたデータに何の意味がある? ま、それを信じて続けていれば、当てはまることもあるけど。 当てはまった時は「やっぱりデータの通りだ!」と喜び、当てはまらなかった時は「そんなこともあるさ。」と納得する。 パチンコの連荘機時代のガセ攻略ネタを信じてたバカと同じ! 「最終ラウンドで、入賞球を9発で止めてフルオープン。これで75%の確率で連荘する。」と教えられたのを信じ、連荘すれば「よ〜し!」となり、外れれば「チェッ!25%に当ってしまったのか〜?」と納得する。 答えの出ないことに対して、データで何とかしようと思うのは当然な事だ。(俺も、サイコロの出目をデータで当てようと努力した頃もあるw) しかし、そのデータの基準を間違えれば何の意味もない。 意味の無いデータでも、毎回続けていれば合うこともある。 オカルトと言われる、経験則に基づくことを続けていても、当てはまる事もあれば外れることもある。 考えることによって、何十倍も面白くなる。 手ホンビキは、相手の思考を読み、当てようとするから面白い。 賽ホンビキは、賽の目なんか、何が出るか分からないんだから、札を突いて張るだけだから金銭欲だけの面白さになってしまう。 手で引いてもスカタンを読むことがある。 賽の目も、勝手な思考で読んでも、当る事もある。 読めば、考えれば面白い。 若者よ!ピントの外れたデータを信じて、得点を上げる事だけに拘って、無駄な時間を費やすな! 絵合わせじゃなく、本当の楽しみ方を覚えることが、一生、麻雀を楽しめる秘訣だ。 |